戊辰戦争とは何だったのか?
戊辰戦争を問う良書。敗者側から見た戊辰戦争論であり、著者と同じく東北人の自分にとって今改めて戊辰戦争を考えた場合、まさに「時代の転換期に起きた権力闘争」が一つの答えになる。官軍VS幕府軍、勤皇VS佐幕といった表面的な解釈では計り知れないであろう。
新書ということもあり戦争の細部まで書かれてはいないが、幕府の倒壊から、東北戦争、北越戦争、函館戦争と三大戦争を中心に描き出す戊辰戦争の真実は迫力満点である。初版から32年、増刷で30版と語りつ継がれる戊辰戦争の名作である。
敗者からの視点として好著
秋田出身で大久保利謙より薫陶を受けた佐々木克氏の戊辰戦争論。
東北地域の戊辰戦争としてはコンパクトに纏められている。奥羽越列藩同盟に関する政治論としては、入門書としては最適ではないだろうか。但し、問題が全くないわけではない。仙台藩に関する参考文献として、史料としては使用するに耐えられない藤原相之助の「仙台戊辰史」を典拠している所である。最も、この本が出版された時期を考えると基礎文献が「仙台戊辰史」しかないことを考えるとやむ負えないかもしれない。
実は、初版以降であるが孝明天皇毒殺説を補記として否定している所がある。当時は、天皇制批判のネタとしてねず・まさしの毒殺説が流行した背景がある。現在では根拠とした史料もないので、佐々木氏も否定されたのであろう。
古書屋で初版を見つけたときに、注意して見ると面白いであろう。
切ない歴史書
負けた側からみた非常に切ない歴史書と言えるかも知れない
作者は秋田出身で、非常に身近な悲劇として戊辰戦争を追っていく
戦場となった地域の民家には敗走する藩兵が残していった鎧甲が残っていたりするんだそうな
そして家が焼き払われたり、双方の労役にかり出されたりして領民が振り回されていく
薩長のDQNな態度によって東北諸藩は避けたかった戦争をやらされていく
見解の相違はあったにしろ佐幕ではなく勤王の側面があったにもかかわらずである
そして東北は敗者として差別される側に周り、それは今でも癒されない傷となっている
いろいろ感傷的な記述も多いが新書だし、逆に話の中に入って生きやすいかなと
通俗的な戊辰戦役観を変えてくれた
ページ数に限りがある学校教科書のレベルでは、戊辰戦争とは新政府=尊王派と、奥州列藩同盟=佐幕派との二項対立だという理解しかできない。しかし、実際は違うのであって、奥州列藩もまた、勤王の志はあった。だからこそ、多大な出費をしてまで、会津は京都守護職を引き受けたのだった☆戊辰戦争における対立軸とは、尊王か佐幕かではなく、「勝てば官軍」の薩長に膝を屈するかどうかにあった☆最後に引用された原敬の戊辰戦争慰霊祭におけるあいさつ文は、その事情を集約している。
敗者にとって戊辰戦争とは何だったのか
大政奉還から、新政府による東北諸藩への処罰が終わるまでを、列藩同盟の側から描く。 東北が戦地となるまでに曲折があるのだが、やはりもっとも大きいのは慶喜の優柔不断ぶりである。 薩長と戦うなら戦う、帰順なら帰順と一貫していればいいものを、身内をも欺いて保身に救急としている姿が目立つ。 著者も、「幕府終末の危機に立ちながら、慶喜はそれを乗り越え収拾しようとする意欲も気力も、また能力もなかった」(p31)と切って捨てる。 「大政奉還」というのは、今日から見れば、大きな出来事だったが、その当時としては、徳川は、「むしろこの時点では、なにも失っていない」(p10)というのは意外だった。 著者は秋田出身で、子供の頃から戊辰戦争の話を聞かされ、当然、東北諸藩に同情的である。しかし、さすがに学者で、感情的ではない。 誰もが悪役として描く世良修蔵について、勝者の側までが、「戦争の全責任を世良に負わせ」「いけにえの役を世良にふりあてている」(p109)と述べている。 全国的な動乱をよそに、水戸藩は内紛に明け暮れていたこと、榎本武揚には独自の考えがあり、列藩同盟とは一線を画していたことなど、この本を読むとよくわかる。 それにしても、読んでいて心を打つのは、二本松の少年たちの悲劇と白虎隊の最期である。 慶喜がもっとしっかりしていれば、新政府軍がもう少し感情的にならずにいたら、と「たら、れば」が心に浮かぶ。 この本によれば、戦争を避ける機会は何度もあったのだ。 朝敵の汚名をきせられ、東北各地で無念の最期を遂げた人たちの心を思うと、歴史の冷酷さに慄然とする。 戊辰戦争が東北に残した負の遺産は、あまりにも大きい。
中央公論新社
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